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連載 営業マン小説 「商社マン しんちゃん。 走る!」 (1)

商社マン しんちゃん。 走る!」
~営業マン小説:高度成長からバブルを駆け抜け、さらなる未来へ~

筆者の商社マン生活の実体験を小説風にしました。


第一章 田舎学生から激動の社会人生活へ

「今日からここが君の机だ。 これからは、人身売買以外は何やっても
いい。 自由に好きなようにやってくれ」


人事部に連れられ、配属先である9階の大日本商事 機械・プラント部
の金田部長に挨拶をした宮田真一は、金田部長から案内された自分の
机を見て、目を疑った。


< ほ、ほんまに机と電話しかあれへん・・・・ >


宮田は、大学のゼミの教授が言っていた言葉を思い出していた。


「君が志望する総合商社というのは、売上高は巨大で、世界各国で
ビジネスを展開しているが、オフィスには、机と電話しかない。 
机と電話を使って、あとは人間の知恵と知識、想像力と行動力でビッグ
ビジネスを創出していくのだ。 生半可な気持ちではやっていけない
大変な仕事だ。 まー頑張ってくれたまえ」


ロマンにあこがれて、生まれ育った大阪を抜け出し北海道の大学を
めざした宮田真一は、大学では山岳スキー部に所属し、キャプテンを
務めた。 

まじめにゼミに出席する経済学部経営学科の同期の連中を尻目に、
ほとんど大学には来ず、北海道の大自然に入り浸っていた。 

夏は,日高や大雪山系にこもって、数千年前に氷河が山肌を削り取って
出来た野球場のような,カールと呼ばれる深い谷の斜面や、お花畑の
横の,落石がごろごろ転がっている雪渓で、野生のヒグマと隣り合わせ
になりながら、一日中夏スキーをして過ごしたり、冬は、利尻岳や知床、
日高、ニセコなどの厳冬期の冬山で、雪崩が頻発するような急斜面で,
深雪スキーを楽しんでいた。

大学4年生になると、卒業後の進路としてどうしても商社に行きたいと
考えるようになっていた。

海外で仕事がしたかった。

こせこせした狭い日本だけでサラリーマン生活を終えることが嫌で嫌で
仕方なかった。 
 
見知らぬ外国で、色々な外国人と堂々と渡り合って、日本企業の
先兵として,彼らと苦楽を共にしつつ,大きなビジネスを自分の力で
まとめあげて、巨大な製鉄所や石油化学コンビナートの建設現場に、
スーツ姿にアタッシュケースを手にして,チャーターしたヘリコプター
なんかで颯爽と到着し、現場に降り立つかっこいい自分をイメージ
していた。


「おい!宮田。 出かけるぞ! 支度しろ」 


 配属された日の翌日、OJT(On the Job Training)を担当してもらう
ことになった課長代理で、隣の机に座っている関から,突然大声を
掛けられた

関は、小柄だが大変元気で押しが強く、特徴的な彼の髪型は、恐らく
天然なのであろうと思われるパンチパーマ風で、両生え際が刈り
上がっており、かつ薄い色のついためがねをかけ、そのめがねの
奥には、眼光鋭い大きな目に、長いばさばさとしたまつげがあり、
また、大きな口から発する笑い声には威圧感があり、いかにも
商社マンでならした、といった風情をかもし出していた。
 
宮田が大学時代を過ごした北海道には見かけたことのないタイプの
人物像であった。


< いかにも柄悪そうなおっさんやな。 大阪でもここまで柄の悪そうな
おっさんはおらへんで。 このおっさんとこれからずっと仕事していくん
かいな。 いやー、これはほんまかなわんなー >


「今から面白いところへ行く。入社して早々の仕事としては、なかなか
いい体験が出来るぞ。 すぐ支度して付いて来い」


「は、はい!」


宮田は、あわててかばんにノートとペンを詰め込んで、さっさと
エレベーターホールに歩いていく先輩の後を追っかけた。

 会社の玄関を出ると、そこには小型のトラックが二人を待っており、
そのトラックに乗りこむやいなや、関が「大急ぎで、大森3丁目の
後藤鉄工所まで」と、運転手に告げた。


「ところで宮田。 お前は、差し押さえの現場ってところにいったことが
あるか?」


「差し押さえの現場? ですか?  いえ、ありませんが・・・」


< そんなもん。普通の学生上がりの人間にあるわけないやろ・・ >

 
トラックは、品川を抜け、第三京浜を経由して約30分後、JR大森駅の近くに
あるとある工場の前で止まった。


次回に続く。

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